夢小説 水滴 [夢小説]
その男は大きな商社に勤め、出張で頻繁に世界中を飛び回っていた。
だがその座席はエコノミークラスがもっぱらで、地位も低く、
低い収入に見合わず、身も心も疲れ果てていた。
入社当時の、燃え滾るような意欲は、もう失っていた。
明日も朝一番で、地球の裏側に行かなければならない。
会社の昼休み、男は近所の公園のベンチで、ボンヤリと宙を見ていた。
買ったサンドイッチは半分以上残している。
公園で遊ぶ社員達から転がったボールに驚いて、鳩たちが飛び去っていく。
「僕は世界中を飛び回っているというのに、何て不自由なんだ。
趣味や家庭を持つ時間も無い。同じ場所に留まって、気の合う仲間を作る余裕も無いんだ。
グローバル経済、自由経済なんて矛盾した言葉みたいだ。
その言葉に反して、僕の存在はとてつもなく小さくなり、窮屈な場所で息を殺すしかない。」
ベンチの傍らでは、水道の蛇口から一滴一滴と水滴が落ちていく。
男は次々落ちる水滴に視線を移し、飽きもせずに眺めた。
ただ何も考えたくなかったのかもしれない。
その透明な一滴には、ビル群と公園の緑が丸く映りこんでいた。
まるで小さな球状の世界に、それらが閉じ込められたかのように。
男はある小さな国に訪れた。
男の国でいう「町」一つ分くらいしかない、とても小さな国だ。
その国のある商社と商談をするためだった。
この国は今まで訪れたどの国とも違っていた。
この国の人々には不思議な余裕を感じた。どこかのんびりしており、温かい。
商談でもギリギリまで詰めてこないし、世間話ばかりする。
こちらの調子が狂ってしまう。
泊まっているホテルにはレストランがあり、
世話焼きの女主人と、気立ての良い娘が仕切っていた。
市場の人々も明るく親切、男には久しぶりに感じる安らぎだった。
ところでホテルで不思議な事件に遭遇した。
泊まった夜と朝起きて部屋から出る時で、部屋の場所が違う気がするのだ。
レストランの女主人が言うに、朝、レストランやホテルで火をおこすと、
熱で各部屋が上下に対流するので、位置が違うのは当たり前のことだという。
その時は冗談で言っているのだろうと、軽く受け止めていた。
心地よい数日間はあっと言う間に過ぎ、明日には帰らなければならない。
ホテルのレストランで男は、女主人と娘に明日発つことを告げた。
このレストランの家庭的な雰囲気を男は気に入っていた。
「来たばっかりなのに、もう帰ってしまうんですね。」
いつもどおり料理を運んできた娘が寂しそうに言う。
「ああ、でもまたきっと来るよ。」
男が料理に手をつけたとき、「心配ね。」と娘が呟いた。
「何がだい?」
「あなた、料理を食べるのが早過ぎるわ、それじゃ美味しさが解らないし、体にも良くない。」
そう言えば、ここ暫くまともに料理を味わって食べてなかった。
なるほど、ゆっくり味わう料理はいつになく美味しいのだった。
朝、男はレストランに寄らずに出て行くことにした。
振り向きレストランの窓を見ると、窓辺で娘が丁度背を向けたのが分かった。
エプロンと娘の白いふくらはぎが、窓の隅に見え、微動だにしない。
彼女がどんな顔をしているのか、気になった。
その後レストランに、再び男が現れた。
「また来たよ。」
女主人と娘が驚きの顔で迎える。
男はすぐに道を引き返したのだった。 ここで暮らす、決心がついた。
「今日も、明日も、ここの料理をゆっくり食べたくってね。」
男はこの国の商社で働くことにした。
レストランの娘と結婚し、子も授かった。
この国で暮らすうち、やはり不思議な国なのだと確信するようになった。
ある日、会社の同僚が「この国の端」を見せてくれると言った。
丸い形をしたこの国の「端」である。
「端」には、ビルが捻じ曲がり折り重なるように建っていて、
蜃気楼のようにぼやけた道は、「端」から先は進むことが出来ない。
目に見えない壁があるようだった。
同僚によると、不動産業者が街を拡張しようとビルを建て続けたが、
見えない力で押し戻されて、いくつものビルがこのように折り重なってしまったのだという。
それから、この国のどこかで、稀に上昇気流が発生し、人や車が巻き上げられて空高くに舞い、
別の場所にフワフワ落下することがあるらしい。
体験者が居るらしいので、きっと生きているのだろう。
ホテルの件や、この国の「端」を見てから、この話も本当らしく思えた。
だが、それら不思議なことなどどうでもいい気がした。
男は今、自由だった。
小さな小さなこの国。
男はもうどこへも行く必要が無かった、ここには男が必要とするもの全てがあった。
妻子の居る家からのんびり出社し、ほどほどに働く、
気の合う仲間と飲み、いつもの市場で買い物をする。
ここは地上の楽園なのだ、こんな日々がいつまでも続けばいい。
「タッ」という音と共に水滴は弾け、セメントの上を染みとなって広がっていく。
男は我に帰った。
昼休みの公園。 ボール遊びをする社員達。
水滴を眺めているうちに、白昼夢を見たのだろうか。
男は酷くガッカリした気分になり、ため息をついた。
男はベンチに横になり、明日の朝、利用する飛行機のチケットをカバンから取り出した。
そしてそれをヒラヒラと頭の上にかざして弄んだ。
その時、そのチケットは突然吹いた上昇気流に吹き上げられ、空に舞って消えた。
同時に、男の体も風で持ち上げられるのを感じた。
空高く。
それは素晴らしい眺めだった。
僕の小さな世界。 仲間の居る会社、いつもの市場、
そしてあの家には愛する妻子が待っているのだろう。
ハミダシ
今回は絵に妙に手が掛かってしまった。
主人公の男性のような気持ち、現代の人は皆持ってるような気がします。
私もそう…一瞬見える安らぎに飛び込みたくなる…
人間の性なのかもしれないですね…
by (2006-10-03 00:49)
じゅん君、絵巧いね~~!びっくりしちゃうよ^^
中々、味わい深いお話でした。
小さな世界から飛び出したい、でもその中から抜け出せないのもまた自分..でも小さな世界で見つけれれるものもあるね。面白かった。
by みかまん (2006-10-03 00:58)
もっと人生を楽しまなきゃと反省されられます
あくせくし過ぎなのは自分で 余裕を持ってなきゃと思いつつ
食事もぱっと食べている自分に反省です
白いふくらはぎに目が行き
ゆっくり暮らすのもいいですね♪
by てつろう (2006-10-03 04:22)
あ、私もこの男のヒトのようになりつつあります。
食事は、ゆっくり食べるようにしよう・・・・と思いました。
イラスト 今回はカラーなのですね^^ ホッとする 優しいイラストですね^^
by あやこ (2006-10-03 07:43)
aika さん>
忙殺されていた頃の事を思い出して書きました。
そのままでは壊れてしまうから、
体は病気になって休ませるのかもしれませんね。
みかまんさん>
ありがとうございます!でも道具に随分助けられてるんですよ。
飛行機で飛び回っていながら見つけられなかったもの。
大きく豊かな世界を、男は小さな国で見つけたのかもしれません。
てつろうさん>
てつろうさんのような勤勉さは尊敬に値しますよ。
僕は体は怠けていながら、何かに焦るように食事をして、ハッとしました。
心が急ぎすぎる事もありますね。
白いふくらはぎ、反応していただけましたか(笑)
あやこさん>
そういう機会がたまにあればいいかなと、思います。
急いで食べると、味を覚えてないってこともよくありますね。
>ホッとする 優しいイラストですね^^
ありがとうございます!カラーで描くのは手間はかかりますが楽しいです。
by じゅん (2006-10-03 15:47)
居場所があって必要としてくれる人がいるのは、
とっても幸せなことなんですよね。
分相応じゃない夢を見てしまう自分がいます。
それはそれで良いんでしょうけど、
今の自分の存在も十分ありがたいなって思いました。
by ミズリン (2006-10-04 21:07)
やっぱり、こういう幸せが一番なのでしょうね。
by (2006-10-04 22:30)
ミズリンさん>
得がたい人にとっては、平凡なこともとても貴重に思えるものですよ。
ミズリンさんはどんなところでも楽しみ方を見つけて、
能力を発揮できる方だと思います。
それに、諦めなくていいことも沢山あると思いますよ。
誠大さん>
地を這っても、高く飛んでも、最後に欲しくなるのは、
こういう幸せなのかもしれません。
by じゅん (2006-10-05 00:46)
ご訪問ありがとうございました。
風邪をひいてしまって、怖い夢ばかりみて目がさめます。
こんなハッピーエンドの夢を見たら 起きたとき「夢で残念...」って せつなくなりそうです。
by (2006-10-05 11:21)
今は走りすぎている人が
多いですね。
歩くほうが必要で重要なのに。
ほんとうに必要なものは極僅かで
1歩1歩踏みしめていく。
そんな人生にしたいです。
by TOMO (2006-10-05 17:08)
すずめさん>
僕も体調の悪いときは悪夢を見やすいです。
夢って意外と体や周囲の環境に影響を受けるんですよね。
夢小説は夢を材料にしていますが、ほとんどは創作なんですよ。
でも確かにいい夢を見た後ほど切ないですよね~~。
TOMOさん>
歩けば周囲を見渡す余裕も生まれますね。
実は周囲の景色の中に、
価値のあるものが隠れていたりするのかもしれませんね。
by じゅん (2006-10-05 22:59)
感動しました。思い当たる節があるからでしょうか。
しかし、またまた絵がすごいですね。
by (2006-10-06 08:50)
我に帰ったところで、「あれ? どうやって入ったっけ?」
と、読み返してしまいました。
空想の世界に僕も引き込まれていたようです。
それだけの力がこの文章にはある気がします。
すばらしいです。 絵も力作ですね。 nice!です。
by be-happyyy (2006-10-06 12:14)
no_chaser さん>
そう言って頂き、とても励みになります!ありがとうございます!
今回は絵はカラーにしてみました。
BE-HAPPY さん>
そう言って頂き、書いた甲斐があります!ありがとうございます!
非日常の仮想体験をして頂きたいと思って書いてます。
by じゅん (2006-10-06 17:29)
絵がステキ。童話作家になればいいのになぁって思いました。
この「男」に穏やかな未来があるのか、、、気になる気になる
by kiki2jiji2 (2006-10-07 05:09)
うう~~ん 毎度のことながら
上手に完結して読ませますねえ~。
そしてそして、絵の素晴らしさ!
なんだか、最初の絵と比べると
自分でもびっくりしませんか?
あ、もちろん最初の絵だって素晴らしかったですよ。
シャボン玉の中のような風景、
よくああいう構図で描けますね~本当に素晴らしい!
by jewel (2006-10-07 12:16)
kiki さん>
勿体無いお言葉、ありがとうございます!
色々想像して頂きたくて書いたので、嬉しいです!
jewel さん>
ありがとうございます!
そうですね、「狩り」のとき描いた絵は、我ながら下手だと思います。(笑)
jewel さんに褒めて頂いて、いくらか上達した気がします。
シャボンの絵は、元絵に魚眼レンズ加工で作ったんですよ。
あれは道具のおかげです。(笑)
by じゅん (2006-10-07 18:48)